2011年12月28日水曜日

年末年始の休館日

皆様には今年度はいろいろ、お世話になりありがとうございました。

昭和町風土伝承館 杉浦醫院は
平成23年12月29日~平成24年1月3日まで休館になります。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2011年12月15日木曜日

NHK「おはよう日本」で「科学映像館」が紹介されます

12月22日(木)7時45分から50分にかけて、NHK「おはよう日本」の中で、「科学映像館」の取り組みを久米川先生の活動を通して紹介する番組の放映が決定しました。放映時間は約5分間だそうですが、古いフィルムをデジタル化して配信するまでの作業や行程等の録画撮りで、久米川先生は都内や横浜へ足を運び、撮影に協力している毎日のようです。当館作成のDVDも配信されるなどプレオープン以来「科学映像館」とは姉妹館のように繋がり、多くの示唆をいただいてきました。詳細は、四方山話の「科学映像館」のカテゴリーを参照ください。

2011年10月21日金曜日

甲府CATVで、杉浦醫院を含む西条新田地区が放映中

「街道・再発見」という番組で、昭和町内が紹介されています。下記3日間は、西条地区から西条新田への道沿いにあるお店やお寺などが、杉浦醫院と共に紹介されています。
甲府CATV(11ch)で放送   放映時間は、以下の通りです。

10月28日(金)は、午前7時40分からと午後6時から
29日(土)ほ、午前7時50分からと午後6時10分から
30日(日)は、午前7時10分からと午後6時20分から

2011年10月6日木曜日

≪信玄の地で信念の知を聴く会≫に森田実氏再登場!

≪信玄の地で信念の知を聴く会≫は、昭和町と甲府市の自主学習グループの共催で、昭和町地域交流センターを会場に開催してきた自主講演会です。この講演会の初回講師は、マスコミ等でも活躍されていた御意見番・森田実氏でした。その森田氏が、今月来県しますので、「ミニ講演会=懇話会」を昭和町内で開催します。当館に10名分の参加枠が届きましたので、参加希望者は275-1400(杉浦医院)まで、電話で申し込みください。 
 
森田実氏は、かつてフジテレビの番組に着物姿で登場し、歯切れ良い活舌で分かりやすく政治の動きを解説していた政治評論家です。辛口で独特のスタイルは視聴率を上げ、最も人気のある政治解説者として活躍されていましたが、小泉首相誕生直後から、生番組から消え、ビデオ出演が多くなりました。
スタッフからインタビューを1時間受けても、実際に使われるのはそのうちの30秒から1分だったと講演会で話していました。TVから消えた(消された?)「ご意見番」森田実氏は、「森田塾」を開設し地道な活動を続け、地方にも出向いて、聴きたい、語り合いたい人には時間無制限でも直接話すという、玉井袈裟男先生の生涯学習論の実践者でもあり、「高齢者の鏡」とも評されています。「予算」でやるのは「教育」、「身銭」でやるのが「学習」!定員に限りがありますので、お早めにお申し込みください。

【森田実先生ミニ講演会&懇話会】
ミニ講演会
日時:2011年10月12日(水)開場19時30分
「森田先生の講演」 20時~22時
参加費:1,000円
会場:昭和町清水新居1603「あかさかこまち」(℡)223-3034

懇話会
講演会終了後、軽い食事と飲み放題の懇話会
参加費:アルコール派3,000円/ノンアルコール派2,000円

申し込みは、275-1400(杉浦醫院)

2011年9月23日金曜日

台風15号 杉浦醫院の樹齢70年のえん樹を倒木

9月22日(木)16時50分、吹き荒れる台風に庭園南側のえん樹の木が根こそぎまくりあげられ、傾き出しました。幸い横に伸びた枝が隣の木で支えられ、一気に倒壊しなかった為、道路の電線や電話線、向かいの家屋等への実害はない状態で止まりました。強い風が吹いていたことから、更に倒れる危険性もありましたが、消防団や建設安全協力会の方々の手際良い指揮と作業で、21時20分伐採され、一件落着しました。夜間の高所作業と力仕事に集中下さった皆々様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。同時に、道路の通行止めや正覚寺境内からの投光、重機やチェーンソーの騒音などご近所の皆様にはご迷惑をおかけしましたが、温かいご協力ありがとうございました。


地元消防団の方が、倒壊防止の為に車で牽引して、クレーン車等の到着を待ちました。
 
最大に伸ばした梯子はグラグラですが、
レッカーで引き戻すワイヤーを地上10
メートル以上の位置に掛けました。
ゴンドラに乗って、横や上に伸びた枝にワイヤーを巻き、チェーンソーで切り、クレーンで吊り下げて、下でも更に小さく切り分ける連携作業が延々続きました。
  
上の枝を全て切り落として、根本を切断しました。「樫の木は固いから大変だ」という声も聞かれる中、約30分かかり、きれいに切断されました。途中、何度もチェーンソーを交代しながらの力仕事、本当にご苦労様でした。


2011年4月13日水曜日

施設名称が決まるまでの経緯

 旧杉浦邸が、町の施設になって2年目を迎えました。1年目の昨年度、整備活用検討委員10名の活発な協議を経て、病院建物と庭園等の敷地内の整備に引き続き、旧温室建物の改築と参観者用トイレの新築が完了しました。「昭和町風土伝承館・杉浦醫院」という名称もプレオープンに合わせ決定しましたが、決まるまでの経緯を報告し、その趣旨をご理解いただければと思います。
 旧杉浦邸には、母屋や病院、土蔵、納屋、車庫、温室等の建物が現存しており、それぞれが歴史的な建造物であることから、これらの建物を最大限生かして整備を図り、活用しながら保存ししていくことを基本方針に個別の建物の具体的な活用法についても協議、決定していきました。その上で、この全体を総合する施設名称をどうするか?についての協議に進み、「杉浦医院」と共に「杉浦邸」「杉浦健造・三郎記念館」「地方病資料館」「杉浦記念館」等々が候補にあがりました。「杉浦邸では、内容が伝わらない」「健造・三郎の父子名を付けると長すぎて電話対応等に支障がある」「記念館では、根津記念館の二番煎じにも・・」等で、全体名称は「杉浦医院」とすることになりました。合わせて、開業中の病院、医院と区別する意味でも医院の医の字を旧字の「醫」にすることと「地方病資料館」を頭に付けることが決まりました。更に「情報化の時代、昭和町または中巨摩郡等の地名は発信上も必要」との指摘も受け、「昭和町地方病資料館 杉浦醫院」で大筋まとまり、最終判断を教育長・町長に一任することとしました。しかし、委員会終了翌日から「心配」「危惧」を申し出てくれる委員各位の熱心な検討が続きました。それは、「地方病と醫院」が重なることに対する心配でした。「土蔵や納屋の部分は、ギャラリー案が承認され、郷土資料館としての活用も図れるし、母屋部分も町の文化資料館となった時、全体名称としては…」とか「地域交流にも使うには、ちょっと重すぎる感じで…」という危惧で、「事務局でもうひと工夫出来ないか」という提案でもありました。地方病の専門家として委員をお願いしている梶原徳昭氏から「日本住血吸虫症は、山梨では地方病ですが、全国的には風土病が一般的です」という指摘があったのを思い出し、「地方病」を「風土」の一つとしてとらえ、風化させないための施設という意味合いならば、検討委員会の趣旨にも合致し、郷土資料、民俗資料、文化資料は、風土を伝承していく為には必要不可欠ですから、全てを包括出来ると「昭和町風土伝承館 杉浦醫院」案を加えて、教育長に提出した結果、委員各位の総意で熟慮した末の名称が採用されました。これをデザイナー甘利弘樹氏が、ロゴマークと共に図案化し、サイン等に使用しています。